Cuba

キューバ旅行記

映画『ブエナ ビスタ ソシアル クラブ』で、一気にキューバブームに火が付いた2000年5月、私はハバナ国際ギターフェスティバルに参加する為にキューバに行く事となった。そもそもの発端は、福田(進一)さんに声をかけてもらった事から始まった。「ハバナはホンマ、おもろいで~」と、福田さんが言うと、なぜか半端じゃなく面白そうに聞こえてしまう。「世界中のごっつウマイギタリストばっかで、オレなんか1番へたやで~」と、続く。え?福田さんより上手い人ばっかりって、一体どーゆー集まりなんだろう?と、興味が倍増する。「カッちゃん(村治佳織さん)も来るし、渡辺香津美(なぜか呼び捨て)も来るで~」え?じゃ、行こう!そう、私は意外にミーハーなのだ。びっしり詰まったレッスンの日程をやり繰りし、理解ある生徒たちの協力で5月11日~24日までの2週間をあける事が出来、キューバへの準備は整った。

キューバは人口1194万人。フロリダ半島のすぐ先に浮かぶカリブ海最大の島で、全長1250km、面積は日本の本州の約半分、細長い国だ。正式には『キューバ共和国』。”カリブの赤い花”という別名の示す通り、社会主義国だ。6年ドイツに留学していた私にとって、社会主義という響きは、すぐ東ベルリンに結びつく。東西統一前に一度だけ東ベルリンを訪ねた時の印象が強い為、『カリブ海の島国』というイメージと『社会主義国』とは、どうしても結び付かず、単純な私の脳内は困惑していた。しかし、キューバで発達した音楽を考えてみると混乱はおさまった。マンボ、サルサ、ハバネラ、、、どれも軽快なリズムにもかかわらず、殆どがマイナーコードで、情熱的な歌詞でありながらも、哀愁を帯びたメロディーで歌われているものが多い。『ブエナ ビスタ ソシアル クラブ』の冒頭に流れる『チャン チャン』の歌声や、私の好きなルベ-ンゴンザレスのピアノ、どれも重い宿命を背負っているようで、でも、どこか明るさを感じ取る事ができる。そんな複雑さがキューバの人々の心情を物語っているようにも感じられる。アメリカのジャズにはない独特の雰囲気だ。そんな事を考えていると、実際にキューバに行くのが待ち遠しくなった。

出発当日、成田に着くと添乗員さんが爽やかな笑顔で出迎えてくれ、簡単な自己紹介の後、飛行機に乗り込んだ。今でこそ、キューバへの直行便があるものの、当時はバンクーバーで乗り換え、メキシコで一泊してから、ようやくハバナに着くという長い道程。機内では、ロビン ウィリアムスの『アンドリューRC1440』が上映され、映画が終わった時、福田さんが「オレ、泣いてもうた~」と目をうるうるさせて言ったことから、映画談議が始まった。最近(昨年5月現在)観たものの中で、福田さんは『シックスセンス』、佳織ちゃんは『ライフ イズ ビューティフル』が印象に残っているとの事。私は『ブエナビスター』と言うと、さすがに皆、出発前に観て来たようで話が弾んだ。この時は、まさか本物のコンパイセグンドに会えるなんて、誰も想像していなかった。たわいもない話から、真面目なギター話まで、色々話しているうちに、目的地のハバナに到着した。

想像通りだった。近代的な高層建築と、震度2で壊滅してしまうような建物が共存し、照りつける太陽の光は全てを白くしてしまうほど強く、その影は真っ黒だ。道の端には1950年代の大きなアメリカ車が止まっている。そういえば、『ブエナビスタ』のポスターにもこんな車があったっけ。その横を裸足の子供が元気よく走って行く。やっぱり、この複雑さがキューバなんだな~と思った。

 時差ぼけを感じている暇もなく、ハバナ国際ギターフェスティバルが始まる。まずは、主催者ブローウェルのドキュメンタリー映画が上映され、若かりし頃のブローウェルの実演など、彼の20年の軌跡が紹介された。

そこに憧れのジョンウイリアムスが来ていたので、すかさずツーショットの記念写真をお願いすると、とても快く引き受けてもらえた。実は、数年前にドイツでお願いした時に一度「NO!」と言われているので、今度もダメモトで頼んだのだが、その時と今回の対応の違いに驚いた。天才は気紛れなのか、それとも、キューバという国柄がジョンの心を変えたのだろうか。さて、そんなオープニングで2週間のフェスティバルが続くのだが、詳しい内容をここで書いていると演奏者などの紹介だけでも大変なので、特に記憶に残っている事を紹介したいと思う。

まずは、何と言ってもブローウェルのレッスン。彼のレッスンを受けるのは2度目だが、今回は曲の内容についてよりも、技術的なアドバイスが多かった気がする。約50分のレッスンの中から、すぐに役に立ちそうなものを少し紹介したい。

* 音量のコントロールは、P(ピアノ)は小さな音で、PP(ピアニッシモ)は、弦から「右指を離す音で」表現する。
* グリッサンドは出発点の音よりも、到着点の音を大事にはっきりと出す。
* スラーは、つい早くなりやすいので、リズムに注意する。また、スラーの始めの音を疎かにしない。
* ラスギャードは高音弦が疎かになりやすいので、バランスに注意する。また、弦から手を遠ざけてしまうとコントロールを失いやすいので、弦の近くで待機する。
* 6弦を押さえる時は、指先ではなく、セーハをするような感じで押さえると確実性を増す。特に手の小さい人には効果的。ただし、他の弦の響きを止めない注意は必要。
* 右手は弦から指が離れた瞬間に脱力をしていないとならない。
(私の演奏中に何度も右手首をつかみ、揺らして脱力の確認をしていた)

曲についてや細かい事はもっとあったのだが、スペイン語と英語でのレッスンだったので、聞き逃してしまった所もあると思う。実を言うと、この公開レッスンは急に決まり、運の悪い事にキューバの日本大使からの食事の招待と重なってしまった為、私以外の日本人は大使のお宅に行ってしまったのだ。私も『ブローウェル』と『大使の御招待』の苦渋の選択を迫られ、レッスンを選択したのだが、とても良い勉強になったのでこれで良かったと思っている。(でも、大使とのお食事もしたかった~)



さて、次は今をときめく大萩康司君の『11月のある日』のレコーディングだ。このCDはキューバで録音されたのは皆さんも御存知だと思うが、ジャケットの白い服も現地で買った物で、録音には福田(進一)さんが付きっきりで夜中に行われたのだ。福田さんのバイタリティーには感服する。フェスティバルではコンクールの審査員を務め、演奏をして、その上、レコーディングにまで立ち会ってしまうのだから。私も録音に立ち会う予定(大萩君の許可を得て)だったのだが、疲労で断念した。今になって思えば、あの時無理をしてでも録音に立ち会っていれば、今頃『このCDの録音、見てたんだよ~』なんて、自慢出来たのに、ちょっと悔しい。

何と言っても、このハバナ国際ギターフェスティバルの目玉は、世界中から素晴らしいギタリスト達が集まり演奏を聴かせてくれる所にあると思う。毎日2つのコンサートが聴けるのだ。その中でも、初めて聴いたバヴェルシュタイドルの演奏は生涯忘れられないほど、素晴らしかった。また、最終日には『ブエバビスタソシアルクラブ』のコンパイセグンドの飛び入り演奏もあり、嬉しいプレゼントとなった。たまたま私が映画のパンフレットを持っていたので、サインをお願いしたら「日本に行った時に。私はあなたを憶えていると約束します」と(そばにいた日本人記者が通訳してくれた)握手をしてくれた。

今回のキューバでは色々な人に出会えた。それはすごく嬉しいことだが、それ以上に嬉しかったのは、福田進一さん、渡辺香津美さん、村治佳織さん、大萩康司さんなどの日本人ギタリストの実力と活躍だ。同じ日本人としてとても誇らしかったし、ギターの素晴らしさをあらためて感じる旅となった。



::コンパイセグンド::

ブエナビスタソシアルクラブで一躍世界的スターになった彼。90過ぎとは思えない程の声量で、低く甘い歌声で観衆を魅了した。



::車に乗り込むコンパイ::

彼が車に乗り込んだ後、私が車の窓越しにブエナビスタソシアルクラブのパンフレットを開いて見せたら、窓をあけて投げキッスをしてくれ、握手までしてくれた。少年のような輝いた瞳と、暖かく大きな手は、忘れ得ないであろう。



::私と村治佳織::

彼女が急にステージ演奏をする事になり、プログラムを決める為に私の部屋に来て演奏をしてくれた。たった一人で彼女の生演奏を聞くことが出来て、贅沢な一時だった。



::福田進一 と私::

言い寄られて逃げている訳ではありません。念のため。



::私とコスタスコチョリス::

10年程前、ギリシアのヴォロスでの彼の講習会に参加した事を覚えていてくれて、嬉しかった。このような素晴らしいギタリストに、一刻も早く来日してもらいたいと思う。



::私とフェルナンデス::

オールバッハプログラムの彼のコンサートは、これまで聞いた彼の演奏の中で一番良かったと私は思う。



::ヘンミングウェイお気に入りのバー::

いつも同じ席で砂糖なしのダイキリを飲んでいたという。そのダイキリは、パパヘミングウェイというカクテル名でオーダーできる。おいしい!



::世界遺産にもなっている旧市街::

キューバの古き良き時代の雰囲気が滲み出ている。さながら日本の京都・奈良のようなところだろうか。



::ストリートミュージシャン達::

けっこう上手い。若い頃は、ブエナビスタソシアルクラブのように華やかな舞台で演奏していたのだろう。



::キューバ産の高級葉巻でポーズを取る私::

チョコレートにしか見えないと、皆に笑われた・・・