Germany

春。とくに5月のドイツは一年で一番美しい季節を迎えます。そして私には、この時期になると思わず口ずさんでしまう曲があるのです。それは、シューベルト作曲の『菩提樹』。この歌は、漂泊生活を送りながら吐露する青年の心の叫びを綴った『冬の旅』という歌曲集の5番目に収められているものです。

いまでこそ旅は楽しいものとされていますが、昔は飢えや病に伏す事も多く、苦しくつらいものであったようです。そもそも、トラヴェル(旅行)とトラヴァーユ(労働)が同じ語源だということでも想像に難くないものです。それにもかかわらず、多くの人達が何かを求めて旅を重ねてきました。

この『冬の旅』も、決して明るい歌曲集とは言えません。不安、孤独、疲労などを歌ったものが大半です。しかし、そんな中で『菩提樹』は何とも言えない優しさと暖かさが感じられる曲調で出来ています。

歌詞はシューベルト自身のものではなく、ウィルヘルム ミュラーという詩人によって書かれたもので、主人公の青年が、泉のほとりの菩提樹の木陰で甘い夢を見たことや、木肌に喜びや悲しみの言葉をを刻み付けたことを回想するところから始まり、幸せだった思い出や、ここで安らぎたいという気持ちを振り払い、また旅に出る、という内容になっています。

私は、高校卒業後すぐドイツに留学し、5年あまりをそこで過ごしました。ドイツの冬はとても寒く、空は低くて手を伸ばせば雲にどどいてしまうかの様です。しかし、その暗い冬が終わると、信じられないような美しい季節がやってきます。町のいたる所にある大きな菩提樹も、春のやわらかな陽を浴びて輝き、その雄大な姿は、ただそれだけで人を安心させてしまう何か不思議な力があるようにさえ思えました。

時折、そよ風が吹くと、大きな葉がぶつかり合い、ザワザワと音を立てます。そんな木々のざわめきと、歌曲『菩提樹』のイントロが私のイメージで重なり、気が付くといつもこの曲を口ずさんでいました。

帰国して数年が経ち、今ではドイツ語を話すことも、菩提樹を見ることも無くなりましたが、今でも木々のざわめきを耳にすると、大きな菩提樹の姿が浮かんできます。そして、人生が旅だとすれば、私のドイツでの5年間は、主人公の青年にとっての1本の菩提樹と同じなのかもしれないな。。。なんて考えたりもするのです。

■釈迦は菩提樹の木の下で悟りをひらいたと言われる。



■ケルン市のシンボル”大聖堂”を背景に公園でギターを弾く