Spain

ギターを始めたころ、私にはひとつの夢があった。それは、アルハンブラ宮殿で「アルハンブラの想い出」を演奏する、というものだ。当時の私は、トレモロの出来る人を魔法使いだと信じていたので、自分が「アルハンブラの想い出」を演奏する日が来るなんて考えもしなかったし、ましてや スペインに行くなんてことは宇宙旅行に等しいくらいに思っていたので、その夢が現実のものになるなんて脳裏にも浮かばなかった。

その夢が叶ったのは、ギターを始めて十数年が経った春だった。ドイツの音大に留学していた私は、当然のようにトレモロを弾き、スペインは自分が今いる所と同じヨーロッパであることを知っていた。夢は手の届く所まで来たと確信した私は、2度目の夏休みを利用して、スペインに出かけた。

マドリッドからグラナダまでは、あっと言う間だった。あんなに夢見ていたアルハンブラ宮殿が、こんなに近かったのかと少し拍子抜けしたほどだった。でも、アルハンブラ宮殿の美しさは、想像を遥かに超えたもので、細やかなモザイクや壁柱の装飾は人間が作ったものとは思えないくらい見事だった。 「完全」と思える芸術に見惚れる私に、ガイドをしているという人が「よく見ると、垂直でない柱や、傾いたアーチや壁。それに、左右が対象でない所が沢山あるでしょう?」と教えてくれた。本当だ。言われなければ気がつかないけど、よく見ると分かる。

説明によると、アラーの神のみを絶対と仰ぐアラビア人たちは、人間が完全なものを作ることは神への冒涜と信じて、人間の無力さをうったえる為に、故意に不 完全な部分を残したということだ。さらに興味深いことに、もう一つ全く違った動機についても教えてくれた。それは、他人が模倣するのを防ぐ為だという。つまり、この故意の誤ちは各職人の「署名」という訳だ。演奏でわざと音を外して弾く様なことはしないけれど、リズムを故意に揺らすことは常識だ。それが、演奏者のセンスでもあり、個性にもなる。そうせずに、書 かれたままのリズムで、メトロノームに合わせて弾いてしまうような演奏では、全く面白味もないし、演奏者の心が反映されないと思う。しかし、やりすぎて「美しさ」が損なわれるようでは、また問題だ。このアルハンブラ宮殿のように「秘められたこだわり」ぐらいの方が良いのかもしれない。だって、その美しさは説明なんて関係なく感動するのだから。その後、中庭で噴水の音を聞きながら弾いた「アルハンブラの想い出」は私にとって、最高の気分での演奏となったことは言うまでもない。